最近読んだ本。

漫画か。

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お父さんクエスト|サブカルチャー|本を探す|ポプラ社

 

この方の『ツキイチ!生理ちゃん』っていう連載が好きで読んでいるんですけど、小山さんは私生活ではお父さんみたいで。これはいわゆる育児本なのかな。育児本ていうより、子供が産まれるまでの夫婦のやりとりや、産まれてからの夫婦の変化、自分の変化、そういった部分の描写が面白かった。この方の独自な視点が好き。絵も字も割と隙間が多いのだけど、だけど細かなニュアンスがすごく伝わる。面白い。

 

 

だいぶ端折ってあったみたいだけど、子供ができるまでの夫婦のやり取りの描写がリアルで、

 

そうだった、子供が産まれるって、優しいだけの時間じゃなかったよな。

 

ってそんなこと振り返りながらポロポロ泣きながら読んだ。

 

私は結婚してから子供が産まれるまでに3年かかっていて、それが長かったのか短かったのかわからないけれど、その期間っていうのは、なかなかに苦しい期間だったりした。

結婚したらあたりまえに子供ができると思っていたから、あまりにもできなくて戸惑った。

 

旦那が自営だったっていうのもあって、結婚するために県外から引っ越してきて、籍を入れて一緒に働きだした私は、毎日毎日働いて、毎日毎日旦那と義家族とお客さんとしか顔を合わせない職場と家を往復する日々にとにかく慣れる事で精一杯だった。

 

子供は?まだ作らないの?っていう親戚やら近所のおばさんやらお客さんから毎日放たれる、挨拶がわりの一言が、どんどん日に日に矢のようにズキっと刺さるのをジッと体感してた。苦しかった。子供を作るってなんだよ、ものじゃねんだばーか。

 

そのうち生理が止まった。生活環境がガラッと変わって不規則な生活を送っていたし、ストレスも重なっていたのだと思う、とにかく追い詰められていた。

このままでは、取り返しがつかなくなると思って、誰にもバレないように誰にも内緒で、遠くの産婦人科に駆け込んだ。

行ってたのバレたら絶対、オメデタ?って聞かれるもん。これ以上傷つくのはごめんだった。

 

病院のビルについた時に、偶然実家の母から元気なの?どうしてるかなと思って…って電話がかかってきた時にはズタボロに泣いた。母にはバレバレなのだ、いつも。

産婦人科は幸せな気持ちで行く人だけじゃないっていうのを知った。それが知れただけでも良かった。

それから漢方を飲んだり、見かねた旦那が、俺は子供がほしくて君と結婚したんじゃないからね、って言ってくれた時から、気持ちが楽になって、もうどちらでもいいか、と忘れた頃に息子が私のお腹にやってきた。

 

こればっかりは本当に授かりものなのだと思う。縁があってきてくれるものなのだと思う。人間がどうこうできる事じゃない。と、私は思う。

 

そんな事思い出しながら笑ったり泣いたりしてあっというまに読んだ。素っ裸でお風呂から出てくる嫁を抱けない。とか、娘がいる父親だけど、年頃の女の子のすけべなビデオは全く別腹として見られる。とか、そういう他人に聞くまでもないけど、聞きたいことがポンポン書かれていて信用できる。

 

 改めて、子供はやっぱりお腹からでてしまえば、自分とは別の人間なのだよな、と思う。10か月お腹貸してただけなんだ。私の子供だけど、私の人格ではない。それだけは忘れないように、それだけはどんな時も私の根底に置いておきたい。そんなことを思った。

 

息子たちの幸せを超超願うし、めちゃめちゃ愛しているけれど、彼らは彼らの人生を生きるし、私にできることなんて本当に見守る事しかないんじゃないかと思う。

 

それでも、君は君を愛してね。世の中地獄だけど、それでもやっぱり嘘みたいに美しい瞬間があるよ。って伝えたいよなあと思う。だから私は私を精一杯生きる。やっぱり結果的に私が育てられている。すげいな、子の力。

 

 

もしかしたら、かつての私みたいな女性がこれを読んでてくれてるかもしれないから言いたい。兎にも角にも、やっとの思いで大学なりなんなり卒業して、ようやく社会に出たと思えば結婚しろ結婚しろ言われて、結婚したら子を産め産め言われて、やっとの思いで授かれば男を産めだの女を産めだの、産んだと思えば、もう1人産めだの、奴らは永遠に呪いをかけてくるから、

耳塞いで逃げろーっ!!  

ね。

 

なんも関係ない人たちの呼吸するよに吐かれるなんの心もない言葉なんか捨てていいんだよ。

 

こんなどこの誰かもわからん私の話も、ぽいっと捨ててくれて構わないけど、そんなことを思う。