好きなコト。

ライブが好きです。昔から。(唐突)


一時耳を壊したり、結婚したり、環境の変化からライブハウスから足が遠のき、子を産んでからは、子を置いて遊びに出かけるなんてできるわけがない。ましてや夜に子を預けて母1人出かけるなんて考えられない。って素直に思えて、もうきっとそういう場からも離れて行くのだと思っていたし、そういう場がなくても、私にはもう居るべき場所があって、やっていける、とはっきり思っていたのだけど。

 

やっぱり帰ってきてしまった。しかも以前より好きになっている。無いとだめだ。
私にはどうにも大事な場所だった。

 

 

ありがたいことに理解ある家族で、行きたい。と言えば、どうぞ。なので、どうしても行きたいライブには行かせてもらってる。一応頻度は気にしながら、また?と言われないように、少し見たい…程度は我慢して、私が今どうしても最優先に行きたいライブは挫・人間というバンドのライブだけなので、彼らが近くにくる時とか、金土あたりでなら遠征もしたりする。

 

ライブはもちろん死に物狂いで五感フル稼働して楽しむのだけど、ライブに向かうまでの1人の時間とか、帰りの夜道も、いまだーれも知ることのない私だけのものだと思うと、なんだか、ホッとする。
誰のものでもない、私だけの夜がどうしても必要だ。◯◯の奥さんとか、◯◯のママとして認識されることのない私だけの個人的な時間は服を脱ぐような安心感があるのだな。私が私を思い出すためにすごく重要。なんか変なこと言ってるな。でも本当そう。私はまずとりあえず私だからね。1人の人間だから。子供が大事なのは大大前提として。

 

私にとっては私が私を喜ばせる行為がすごく重要で、やはり自分で自分をかわいがらないことには色々ズレてくる。っていうのをよく思う。例えば私が自分の子供に伝えたいことの究極は、自分を愛する心じゃないかってたまに思ったりする。私はまず私を愛す姿勢を子供に見せるべきだと思ってる。都合よく。
世の中には色んなお母さんがいるから、子供がすべてのお母さんもいるだろうし、私はそれを悪いとも思わないし、立派だと思うけど、子供がいずれ巣立つ時に抜け殻のように、私はあなたのなんだったの?なんてのたまうようなお母さんにはなりたくない、私は。私は子供がいるからコレを我慢した、コレができなかったとか言いたくない。遊びにも仕事にも真剣な姿を見せたいなあ、なんて思う。都合よく。

 

 

今年はさみしいことにまだ決まってないのだな、ライブ初め。でも今年も行きたいライブには行かせてもらう。今年はどんなライブが見られるか、わくわくしてる。生の音と生の熱量を前に、自分が心底解放されてく時間がたまらなく好き。

 

 

 

 

人間の最期

 

年末、受け取った悲しいお知らせ。


となりのおじちゃんが亡くなった。


細かく話せば、もう私が引っ越したからとなりのおじちゃんではないのだけど。一時期私のおとなりに住んでたおじちゃん。

ずっと入院していたから、そんな知らせがいつきてもおかしくないっていう思いは頭の片隅にあった。それでもいざそうなると、身近な人との別れは重く悲しいものだ。


通夜、告別式に主人と、息子2人と参列した。
私にぎゅっとしがみつく次男。お経が怖い、とジッと目をつぶっていた。
長男ははじまりからおわりまで、ずーっと嗚咽をもらして泣いていた。
ひとしきり泣いたあとに、人が死ぬってことはもう2度と会えないっていうことだね。って呟いた長男の言葉が耳にこびりついている。

あの会場の重さ、しんとした空気、匂い、溢れ出るきもち、なみだ、ぜんぶぜんぶグッと自身で受け取って彼が口にした言葉。しっかり彼は、人間の最期を受け止めたのだな、と思った。

 

会場で孫でもないのに大きな声で泣く子供は目立ったのだろう、何人かの大人に、まだ小さいのに感受性が豊かな子ね、優しい子ね、と声をかけてもらった。ありがたいお言葉だけれど、小さい子供にだって人間の死の重みはわかるはずだ。それをそのまま言葉や涙にして吐き出す子もいれば、うまく表現できない子もいるだろう。それだけの事だと思う。子供を見くびってはいけない。大人の思う何倍も、彼らは見ているし、感じている。子供にいい加減な事は言えないな、自戒も込めて身の引き締まる思いがした。

 

あちこちで囁かれる故人を偲ぶ声。

"最後は寝たきりだったって。食事も点滴で、何ヶ月も入院して、かわいそうね…。"

悪意は無いのはわかる。自然にわいてきてしまう感情かもしれない。でも私は嫌だと思った。故人とどんな付き合いがあったのか私は知る由もないし、皆それぞれ好き勝手思うことがあるよね、それはそれでいいけれど、人の命に、人生に、最期に、薄っぺらな感想並べて、かわいそうはないだろうと私は思う。私は嫌いだ。あまりに浅はかだ。
どこの誰にだって、他人の命を、人生を、かわいそうで片付けることなんてできるわけない。

 

隣のおじちゃんの事、私はよく知らない。口数が少ないおじちゃんだった。いつもにっこり笑っていた。本屋の店主だった。入院するまでいつでもおじちゃんはそこにいた。定休日なんて無かった。毎日そこにいた。最初に倒れて入院して一時的に退院してきた時も車椅子で店番していた。再び倒れ、とうとう最後に入院する日まで、40年、おじちゃんは現役の本屋だった。おじちゃんはいつもクラシックを聴いていた。野球が好きだった。漢字検定のためにいつも難しい漢字を練習していた。クイズ番組が好きだった。たまに奥さんに店を任せて、ウキウキ出かけていった。いちいちどこ行くの?なんて聞きはしないけど、コンサートに行ったり野球を観に行ったりしていたのだよね。


どんな人間にもいろんな日々の色がある。それが季節みたく人生を彩っているのじゃないのかな。

 

おじちゃんは最期、わたしにも息子にも1つの学びをくれた。人それぞれのお別れがある。私はここでしずかにさよならするね。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

はじめに。

日々こころに積もる、思いのかけら。

人に話すことでもなく、でも誰かに聞いてもらいたいような、そんなわたしの、たまに溢れ出ては迷子になる感情に、居場所を作ってあげようと、そうか、ブログを書いてみよう。と、決めました。

だれも読まないだろうな、でもたまにだれか読んでくれたらいいな、なんて考えながら、肩肘張らずにゆるく、書きたいときに書いてみようと思います。